新聞配達富士山に登る

wikipediaによると、8月の新聞休刊日は第2日曜日だそうだ。

配達員にとっては翌日の朝刊配達が無しとなる。

1985年8月12日(月)私は休刊日を利用して富士山に初登頂した。

その日は奇しくも日航機が御巣鷹に墜落した日だった。

 

 

就職もせず、相変わらず新聞配達をしていた私は

翌日の朝刊配達が無しだったので

友人の運転する車で富士山へ向かう。

五合目に車を止めて車中泊、翌朝から登山のつもりだったが

夏とはいえど富士山を侮ってはいけない。

夜、あまりの寒さに麓まで車をおろして眠る。

 

翌朝、再び五合目に車を進め、登山し

無事登頂して夕方には下山を完了する。

 

その頃

私と友人は、彼方の山の向こうが赤く染まっているのを見る。

それがあの大変な事故であることを知ったのは

後になってのことであった。

 

 

ところで、重ねて言うが

夏とはいえど富士山を侮ってはいけない。

その後私は、その後妻となる人と、

別な友人と3人で再登頂しているが

下山を開始する時間が遅くなった。

 

友人は山小屋に泊まることにした。

オートバイを五合目に置いてある私たち二人は

帰る手段があるので、下山することにした。

 

月明かりと、無数の星と、

たくさんの流れ星に見守られながらの下山は素晴らしかった。

 

ところが、そう思っていられるのも森林限界ラインまでのこと。

高木の中に突入し、ライトの装備もなかった私たちは

真っ暗闇の中を手探りで進むことになる。

月も星も、もはやわずかの灯りさえ届けてくれない。

一歩進むだけで、暗闇の恐怖を存分に思い知る。

それでも遭難という言葉がよぎらなかったのは

たぶん、ただ若かったせいだけなのだろう。

 

 

ほどなくして一筋のライトに救われる。

前を降りていた人が、やはり暗闇に動けなくなって

救援を要請していたということだ。

私たちはただただただ運が良かった。

 

 

う~ん

だいぶ徒然な文章になってしまい、すみませんです。

 

 

参考リンク:

新聞休刊日 – Wikipedia

日経PR/休刊日一覧

日本航空123便墜落事故 – Wikipedia

森林限界 – Wikipedia

googleMap 御巣鷹山 

 

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