新聞会社の垣根を越えて
新聞奨学生は横の交流が頻繁だった。
N新聞は割と朝が遅くてもOKだった。
N新聞の購読者は会社が多かったので
会社が始まる時間までに届けてあればセーフなのだ。
新聞奨学生やるならぜったいN新聞を選ぶべきだ。
私の販売所の前を王子から十条へ続く道路が走り
その道路を挟んで真向かいがA新聞販売所。
そこのM君は黒磯出身。
横の繋がりよろしく、その日もその別新聞販売所のM君と
いつものように東十条のパチンコへ行き
帰り道、線路をまたぐ駅通路を渡ったとき
ビラを手渡された。
その後、その人たちは一週間に一度「勉強会」と称し
それぞれのアパートにやって来るようになった。
詳細な経緯はもはや憶えていないのだが
“気がつくと”、私とM君は成田にいた。
三里塚闘争がニュースになっていた頃の話だ。
ただ、ヘルメットにサングラス・マスクというハードなものではなくて
普通にデモ行進するようなものだった。
それでもその後、
公安にマークされているのではないか
普通に就職できないのではないかという思いが
しばらく頭の片隅を離れなかった。
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