新聞奨学生をしばらくやっていると
全国からいろんな人がやってくる。
デザイン専門学校へ通うおかまっぽいやつもいたし
病弱そうでムリだろ~そうなやつもいたし
静岡から来た後輩は毎朝読経していたし
四国から来た後輩は硬派な顔立ちでお金を無心するし
隣の部屋の奨学生はなにか宗教がらみのノルマがあったらしく
購入を協力したら固い握手で感謝され気恥ずかしかったし
でもみんなまっすぐな好青年だったし
新聞奨学生をしばらくやっていると
全国からいろんな人がやってくる。
デザイン専門学校へ通うおかまっぽいやつもいたし
病弱そうでムリだろ~そうなやつもいたし
静岡から来た後輩は毎朝読経していたし
四国から来た後輩は硬派な顔立ちでお金を無心するし
隣の部屋の奨学生はなにか宗教がらみのノルマがあったらしく
購入を協力したら固い握手で感謝され気恥ずかしかったし
でもみんなまっすぐな好青年だったし
新聞会社の垣根を越えて
新聞奨学生は横の交流が頻繁だった。
N新聞は割と朝が遅くてもOKだった。
N新聞の購読者は会社が多かったので
会社が始まる時間までに届けてあればセーフなのだ。
新聞奨学生やるならぜったいN新聞を選ぶべきだ。
wikipediaによると、8月の新聞休刊日は第2日曜日だそうだ。
配達員にとっては翌日の朝刊配達が無しとなる。
1985年8月12日(月)私は休刊日を利用して富士山に初登頂した。
その日は奇しくも日航機が御巣鷹に墜落した日だった。
朝夕の配達の他に集金も仕事だった。
翌朝刊のチラシセット後20時頃から集金に出たりする。
この集金は相手次第で、居ない家はホントに居ない。
21時、22時、土日訪問。
夜討ち朝駆けはあたりまえ〜となる。
あまりにつかまらないと一時的に立て替えたりもする。
まことに東京は恐ろしいところである。
川越の販売所では専属配達員は地元の人で
それぞれ家族も自宅も持っている人だ。
ところが東京の配達員はみな働き盛りのバリバリで
いつトンズラしてもおかしくないような人が多い。
埼玉県川越で新聞奨学生を始めて1年。
「こんなのやってられない」
と同期だった北海道のSと岩手のOは奨学生をやめていった。
大学生は4年契約だと思うので途中解約で
入学金や学費の立替残金を一括で支払ったのだと思う。
私はそのまま2年目に突入した。
川越販売所での日課は
朝4時ごろ起床、朝刊配達6時頃まで
7時頃朝食。
夕方15時頃川越駅まで新聞を荷受けしに行き
夕刊配達18時頃まで。
夕飯を食べ、
19時頃から朝刊用のチラシをセットする。
翌朝朝刊が来たらすぐ挟み込めるように
1部ずつにセットしておくのだ。
日曜祝日に限っては夕刊が無く
翌日の朝刊はチラシが少ないのでセットする必要はなかった。
日曜の朝刊後は大いなる自由だった。
4時〜7時頃朝刊配達。
15時〜18時頃夕刊配達。
夕飯後翌日のチラシセットや集金。
毎日24時間を朝・夕刊で分断される新聞奨学生にとって
新聞休刊日は数少ない外泊できる日だ。
休刊日ともなると若者らしい遊びをしたくて
同じ販売所の奨学生4人でレンタカーを借りて
当時憧れだった鎌倉まで出かけたことがあった。
しかし当日はあいにくの台風接近。
鎌倉のどっかの駐車場
豪雨と強風でぐらぐら揺れる車内で一晩明かしたが
そんなんでも今でも思い出すくらい楽しい思い出だ。